戦争と・・・

石原慎太郎の思い出

都知事再選しましたね。

口を開けばいろいろと歯に衣着せぬ物言いで反感を買ったり、身内びいきなど問題も多いジジイですが、まぁ他の候補があれではこの人に入れとくのが無難じゃないかと考えて投票してきた。

ところで、石原慎太郎の話で「現代史の文水嶺」(文芸春愁)とゆうのがある。

他誌でもいくつか同じ話を語っているのだけれど、彼の少年時代の体験談で少年だった石原慎太郎が空襲警報を受けて、下校の途中に米軍の艦載機に襲われる話だ。

終戦間近。ほとんど抗戦する戦力がなくなっていた日本の国土と空を米軍は我が物顔で跋扈していた。米軍戦闘機などが気まぐれに日本の学校やどう見てもただの田舎の村落を機銃で掃射しているフィルムは現在もけっこう残っている。

↑ベトナム戦争もこうゆう映像がいっぱいありましたね。

そして少年だった彼も米軍機に襲われた。

敵機のエンジン音と機銃掃射の爆音を聞きながら、恐怖に駆られて走って畑の中を逃げ回る。

一度はなんとかやり過ごすのだが、直後にまた新たな敵機が現れる。今度は畝の低い芋畑で、逃げ遅れてやられたと畑の中で突っ伏して身をこわばらせながら死を覚悟すると、何故か撃たれない。

振り仰いで見ると、現れたのは日本の戦闘機で、その褐色の機体に描かれた日の丸が痺れるように鮮やかに見えたと・・・。たった今自分を襲った敵機を追って飛び去る思いがけぬ味方に、ふるいつきたいような激しい思いを抱いたそうである。

多分こんな感じだったのではないかと思う。

四式戦-疾風とマスタング-P51。

これを見るとちょっと悔しさがこみ上げてくるのだけど・・・。

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あなた達のおかげで

名無し三等兵 :2007/02/25(日) 19:00:16 ID:3RDkUoqb
大叔父は中国大陸で通信兵として出征してたんだけど、ある村での戦闘の際に親とはぐれた中国人の5才ぐらいの男の子を連隊で面倒みたらしい。
男の子も行くあてもないし、すっかりなじんだらしく連隊が移動してもついて来たそうだ。
終戦を向えた時には、初めて会った村から、はるかに離れた地域だった。
その子にこれからどうするかと聞いたら、とりあえず村に戻ってみると言うので、連隊長が敵の部隊に頼みこんで「この子に危害加えるべからず」みたいな一筆を書いてもらいその子に渡したそうだ。
大叔父たちは当然、捕虜生活に入り、1年ほどたって拘留地が変更されて移動した。
新たな拘留地について数日たった頃、作業地で作業をしていたら鉄条網の外から自分達に呼び掛ける声、声の主はなんとあの男の子。
聞くと無事に両親と再会できたらしい。男の子の両親も、あなた達のおかげで息子は無事でした、とひどく感謝されたらしい。
それから捕虜となってる大叔父達の連隊のために、色々と差し入れ等をしてくれた。
そして復員の日、両親と男の子が拘留地外で待っていて連隊一人一人と握手をして迎えてくれたそうだ。
大叔父が無事、日本に戻ったのは昭和23年。

長文、駄文は勘弁。
大叔父は酒が入った時しかこの話をしないから、部隊名・地名等はちゃんと聞いた事はないのが残念。
御年90歳、いまだ健在です。

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インドネシア PETAマーチ

祖国防衛義勇軍マーチ
55 :真田雪村 ◆GikoZCWL36 :04/02/19 17:53 ID:FZRgMKrP

インドネシア「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」

“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ
大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…”

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今でもインドネシア独立記念日などのおり演奏されるPETAマーチの3番です。

敗戦時。日本に帰らずにインドネシアに留まって、インドネシア独立戦争に参加した多数の日本人がいました。

インドネシア国立英雄墓地に英霊として眠っている方々もいます。

そして現在にも繋がっています。

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■軍の配慮
313 :名無し三等兵 :05/02/26 15:32:49 ID:AOU4yMJp

(ネタが尽きてきているので、ちょっとスレ違いだが)
昨年、仕事でインドネシアに行ったときに、現地会社に駐在している
日本人に聞いた話。
98年にインドネシアで暴動が起きた時、事態を見守りつつ帰国するか
どうかを決めかねていたそうだ。
(既に空港は出国しようとする外国人でパニック状態)
その時、インドネシア空軍が「輸送機を準備したので、
必要なときはいつでも申し出てくれ」とのこと。
その会社の幹部に残留日本兵の孫がいて、軍が配慮してくれたらしい。
その日本兵は、インドネシアで英霊として祀られている・・・。

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かの国にも、忘れない人がいるんですね。

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戦争と・・・

一般的には第二次世界大戦。

オイラ的には大東亜戦争。

ほんの数十年前、日本はアジアを舞台に連合軍を相手に大立ち回りをやらかしました。

当時の日本軍の蛮行や残虐な話は枚挙に暇がありません。

でも、探してみれば意外な話や現在につながるいい話もけっこう出てきたりします。

そんな話を拾い集めていこうと思います。

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日本の戦績

55 名前:唐突ですが:02/11/23 15:30 ID:WpKCF4vn

昔、雑誌で読んだんだけど、ある評論家が(名前を思い出せない)
「近代日本の百年をひと言で言うと何ですか」って聞かれて
「二勝一敗です」
なんか目からウロコが落ちたような気がしたことを思い出した。

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今度やるときは絶対に勝ってみせます! といったところかなぁ。

それにしてもうまい言い方。

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靖国とゼロ戦と・・・

地下鉄の九段下の駅を出て靖国通りを九段下の交差点から市ヶ谷方面に坂道を上っていくと、右手に巨大な大鳥居がこれ見よがしに現れる。

そこが主に中国や韓国、南洋パラオまでその名を轟かす靖国神社の参道入り口だ。

靖国神社は非常に簡単に言うと、嘉永6年(1853年)古くは吉田松陰や坂本竜馬から大東亜戦争時まで、主に国を思って亡くなった人達が国を守る英霊として祀られている場所である。

・・・・・。

実を言うと、この事実を知ったのは、ここ数年のことだったりする。

靖国神社はわりと昔から参拝していた。主に元日、正月に仲間と一緒に行く所。

そうです。単なる初詣スポットだったんです。

初詣を靖国に決めた理由としては、わりと近い、そんなにメジャーでもなく夜店が充実している等と、そんなところ。

無知なオイラが賽銭を投げて何を祈願していたかと言うと、「可愛い彼女ができますように。」とか「宝くじが当たりますように。」みたいなことでした。

こんなお願いをされた”死んで護国を守る鬼になる。”と言って鬼籍に入り、合祀されている英霊の方々の胸中を察します。

キガンスル バショ ガ カンゼン ニ チャイマス ヨネ。

御利益が薄かったのも納得です。バチが当たらなかっただけでも儲けものかも・・。

そんな訳で、今は浅草寺に初詣に行っています。

クリスチャンなんですけどね。オイラ。

さて、靖国神社の本殿から右手のほうに進んでいくと、遊就館(軍事博物館)があります。ガラス張りの正面玄関を入ると、いきなり展示されているのがゼロ戦です。

01

ラバウルから回収した三機分の機体を元に復元されたものらしです。

子供の頃。航空ショーで飛んでいるゼロ戦の雄姿を見たことがある。でも操縦していたのは金髪碧眼のおっさんだった。

ずいぶん昔に読んだ記事、(なぜかバイク雑誌でした。)どこかの親父さんが戦後のドサクサで手に入れたゼロ戦のエンジンを所有していて、今でも時々トラックの荷台にエンジンを載せて出かけて行っては火を入れて爆音を轟かせている。とゆう話を思い出す。

あのエンジンが現在も生きていれば飛ぶかな・・・

ロシアとカナダでゼロ戦のレプリカを作っているところがあるらしいが、やっぱり本物が良い。そして飛んでいる姿が見たい。

日本人飛行士の操縦で

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